ロンドン大学通信課程学生のブログ

2022/8 BSc in Mathematics and Economics 修了。2023/10〜 データサイエンス修士課程

シドニー時代とIELTSなど その1

IELTSは一度も受験したことがない。
昔、シドニーに居た時、通っていた語学学校で模擬試験のようなことはしたことがある。
覚えているのは、与えられたグラフを何十字かで説明せよとか、リスニングがやたら難しかったことと、それから、良いテストだなという印象を持ったことである。

シドニーでは学校→バイトして金貯める→学校を繰り返していた。
金がなくなって、閑静な住宅街にあったホームステイ先を出た後、多様性を絵に描いたような街にある引っ越し屋の2階を間借りしていた。
たまに現場でバイトとして使ってもらった。NZ出身のラグビーを経験している屈強な連中と一緒に仕事をしていた。カラーボックスのようなものはなく、どれもこれもゴツく重いテーブルだの棚だのばかりだった。当時はガリガリだったからよく迷惑をかけた。オーナーには、もっと肉を食えと言ってよく叱られた。
事務所(1階)には、引っ越し作業時に客先からもらってきたゴミが山積みになっていた。それらに値札を付けて売っていたのだ。5ドルとかで。たまに近所のインド人などが来店して、体重計などに興味を示す。

客「体重何キロだ?」
俺「75キロぐらいかな」
客「乗ってみてよ」

体重計は60キロを示す。
客はニヤニヤ笑ってる。

客「壊れてんじゃないの?」
俺「痩せたんだよ。現場で働いてるから。お値打ちだよ?買ってってよ」
客「.....またな。」首を振って立ち去る。

時給は良かった。ジャパレスだとたしか9ドルぐらいが相場だったか。引越しだと17ドルだった。ローカルの事業者のほうが断然良かった。

たしか、ある工科大学の語学コースにも通った記憶がある。IELTSコースだったと思う。
クラスメイトはスマートな感じのアジア系が大半と、南米系が少し混じっていた。日本人はいなかった。
シドニーに居た時はちょっと能天気に振舞っていたから、アホが入ってきたなという目で見られていた。
ある時、状況は一変する。
ボードに文章を書けと先生にいわれたので書いてみたら、クラスが騒然となる。
単語一つ一つの機能的な使い方について先生に褒められた。
Now that....みたいな文章だったか。
それ以来、クラスメイトとして認められたようだった。

この出来事は、当時の自分の英語に対する苦悩の一端を示している。
大学受験英語の範疇では優秀な部類だった。シドニーに居た時は、その呪縛を振りほどいて英語に血を通わせようと必死だったのだ。
学校の中ではできる部類。だが、一旦街に出れば中途半端な子供じみた英語しか話せない外国人でしかなかった。
そもそも書く方にしたって、スピーキングでトラブっていた自分にはtextbook な英語を書くのが精一杯だったのだ。

「能天気」は、英語を話す時のキャラだった。わざと何も考えずに話すために。

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(つづく)